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2009年12月17日アーカイブ

高知県安芸市津久茂町の球場入り口、旧安芸駅跡地の緑地公園にあるカリヨン時計に寄って来ました。

カリヨン時計

カリヨン時計

旧安芸駅跡地の緑地公園にあるカリヨン(鐘)時計。午前8時から午後5時までの各定時に、安芸出身の作曲家・弘田龍太郎の<春よこい>や<雀の学校>などの童謡が流れる。

「カリヨン時計」の地図 (土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線球場前駅から徒歩3分)

 

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                安芸市の球場入り口 

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安芸市 観光スポットカリヨン時計

旧安芸駅跡地の緑地公園に、複数の鐘で音楽を奏でるカリヨンとからくり時計を組み合わせたモニュメントがあります。カリヨン時計は、市の木であるヒノキをかたどり、からくり人形を納める球体は安芸市特産のゆずをイメージしてデザインされています。
 

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HN:カナリヤ

安芸市のカリヨン時計と緑地公園 に関する記事 

安芸市内の見所ウオッチング 

HN:カナリヤ さんの記事


 

根木さんと一緒に、高知県いの町にお住まいの商船収集家・刈谷芳郎さん(80歳)宅を、二度お伺いしました。

二回目は、安芸市立歴史民俗資料館の門田学芸員と同席する事ができました。

三菱の創始者・岩崎弥太郎の出身地、安芸市の安芸市立歴史民俗資料館では、

12月5日~1月31日まで、企画展 「弥太郎の夢」をしており、

この中で、商船収集家・刈谷芳郎さん所有の商船が展示されているとのことです。

時間を作って、企画展を見に行こうと思っています。

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刈谷芳郎さんに、収集している商船の特徴や役割、航路や時代背景などを伺っていると、楽しくてすぐに時間が経ってしまいました。こだわりの凄さと、高齢になられてこの後どうなる・・・を考えさせられました。 

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提供: フリー百科事典『ウィキペディア日本郵船

日本郵船株式会社(にっぽんゆうせん、Nippon Yusen Kabushiki Kaisha)は、日本を代表する大手3大海運会社の一つであり、三菱商事と共に三菱財閥(現在の三菱グループ)の源流企業。

 

  • 1870年 九十九商会(後の三川商会、三菱商会へ)設立。
  • 1875年 国有会社である日本国郵便蒸気船会社の経営が岩崎弥太郎に任される(三菱商会が郵便汽船三菱会社へ改称)。
  • 1885年 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併し、日本郵船会舎を設立。

     

    HN:イベント案内人

    いの町の商船収集家・刈谷芳郎 さんに関する記事

    安芸市立歴史民族資料館

    イベント情報

    HN:イベント案内人  さんの記事


  • 三倉神社と投げ子

     小さい子供の頃、病身で弱い子供や、大病して危篤状態になり、「もうこの子は助かりそうにない、こりゃ困った、お医者さんの薬がききますように」と、お薬師様にも祈願して色々と手を尽くすがようならん。

     めりきっちょったら近所の年寄りが、「あのえい子を殺すのは惜しい、お三倉様のなげ子にしたらよう助かるが、拾うてもろうたら」ということで、
     
    早速代参で汗見の三倉神社へ赴き、神官さんに子供の病気容体を話し、「このままでは危ないが、なげ子にしますが拾い上げてお助け下さいますようお願いします」と頼むと、引き受けて下さり、
     
    神衣に着替えた神官さん、本殿の正面に正座してのりとを上げ、病児の年や性別、名前を告げて祈願し、終わると神官さん、「これでこの子は三倉大神が拾い上げ、三倉の三の名字を与え、我が氏子としてお救い下さる」と、
     
    祈願のお札を病児の天井に張れと。戴いた三の字の呼び名をつけて生涯呼ぶ。年一度の大祭には必ず参拝して、年貢を納めることを約して帰る。

     戴いた名字で三郎と名付けて呼ぶ。病気は日増しに良くなり平癒した。

     「あのおんちゃんは、倉さん、倉次言いよるけんど、本名は違うんじゃとねえ」「そうよ、みっちゃんも本名は種子よ、名前が二つあって三や倉の呼び名で通っちゅう人はみんなあ、お三倉様のなげ子ぜよ」と言うほど、
     
    当時弱い子供等を助けて救う、慈悲深い女神のような三倉神社(お三倉様)には、投げ捨てた子(もう駄目じゃと思って)を拾い上げて助けられた氏子連が、近郷近在に大勢いた。

     さて嶺北の吉野川筋で三大縁日とは、旧四月八日の豊永の柴折薬師(豊楽寺)と、旧十一月五日の本山町慰霊祭(雁山)に続いて七日のお三倉様(三倉神社大祭)でありまして、
     
    これらの縁日には、やしの見世物や物売りも方々から来てもの珍しく、参拝者もどっと押し掛けて大賑わい。当時みんなの楽しみであった。

     お三倉様の大祭には珍しく寒相撲もあった。当日は毎年初寒がきて、北風にみぞれがそうて吐息はぼうと湯気に見える寒さにもめげず、吉野川筋の道路はぞろぞろとお三倉様へ、参拝や見楽の人々が切れ目なく続いた。

     ◎なげ子の年貢は白米一升に一円(当時米一升三十三銭)の献金を七年続け、その後は  自由意志でお供物と参拝をすることになっていた。

      大祭に氏子になったなげ子は、社殿で神官がのりとを上げお祓いをしてくれた。
     三倉神社=本山町汗見。元、吉野村。

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