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このブログ記事について

このページは、会員No.1003が2010年1月14日 09:24に書いたブログ記事です。

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野根山街道・・・旧藩林

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正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

  

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奈半利自然保護研究会:旧藩林(きゅうはんりん)

江戸末期の造林の杉林であり、藩政時代は藩主の命令で街道の崩れを防ぎ、また日陰をつくるために街道の両側15間(45m)の伐採を禁ずる御留山にしていたといわれている。盗伐には、はりつけや耳そぎの刑がくだったという。樹齢150年以上の見事な杉林が残っている。この街道の左手には、北川村野川から登ってきた道と合流する。 

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安芸森林管理署:野川山旧藩林

四国のみち「野根山街道」のみどころの一つとして紹介されている旧藩林は、江戸末期に造林された樹齢約170年生のスギ林です。

 この旧藩林が植林された5年後の天保9年(1838年)に、北川村で中岡慎太郎が生まれ、元治元年(1864年)には、清岡道之助をはじめとする二十三士が、旧藩林の前を通り抜けて、「岩佐の関所」に武装屯集したとされています。
 
 藩政時代に土佐藩は、御留山制度を設け一般の伐採を禁止し、藩が直接管理していました。御留山には、幕府への献上木を伐採する「御用木山」、藩財政確保用の「御国用山」という区分がありました。野川山は「御用木山」であったようで、1683年の「御用木山改帳」に度々御用木を仰せつかったという記述があります。当時の伐採跡は「ぼうが」に任せたままでしたが、野川山は良材を産出する「お宝山」又は「土佐の十宝山」と称されていたことから、藩の直営事業として植林が行われました。古文書によると文政9年(1826年)頃から野川山に植林が行われていたという記録が残っていますが、野川山旧藩林がその頃に植えられたという実証が得られていないことから、天保4年(1833年)に植林したと推定されています。

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御留山(おとめやま) 

御留山というのは江戸時代(藩制時代)、にお役人の、許可がないと入れない山を意味していた。有益な資源が有るので、お役人の管理下に置いて管理させていた山なので、伐木禁止、採掘禁止させる意味で、立入を禁止の地域なのです。

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HN:サカチャン 

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