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2010年5月13日アーカイブ

2010年4月24日(土)11時30分~高知工科大学食堂で、

奥ものべを楽しむ会」の人達が造る、美味しい地元料理でまんぷくになったお腹を抱えながら、
県下各地の"高知を元気にする"取り組みの交流を目的に、まんぷく交流会(オフ会)を実施しました。

「高知ファンクラブ」まんぷく交流会(オフ会) に関する記事

心を込めて料理を作っていただいた「奥ものべを楽しむ会」の皆さんや、朝早くからお手伝いに参加したスタッフの高知工科大学生に感謝の意を表しながら、第2部のコーナーに移動しました。

美味しい料理でまんぷくになった"オハラ"をかかえて、 

地域の活性化を応援する活動のプレゼンテーションが、坂本耕平・「高知ファンクラブ」事務局長の司会で進められました。

 

高知工科大の学生が講師をする無料のブログ教室
                                実行委員長・中屋進さん

 

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中屋実行委員長は、一昨年・昨年のブログ教室を振り返りながら、3年目になる今年もやります・・・と報告してくれました。

会場からは開催時期も相談しながら、是非参加して情報発信できるようになりたいという声が出ていました。

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まんぷく交流会(オフ会)開催のお知らせ4 高知工科大の学生が講師をする無料のブログ教室

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「物部川ファンクラブ」中屋・事務局長が実行委員長を務め、多くの学生が講師として関わった、無料のブログ教室は参加者にも大変好評でした。

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ブログ教室 に関する記事

 

報告した高知工科大学修士2年の中屋さんのコメントです。
 
(中屋さんは今回の「高知ファンクラブ」まんぷく交流会の企画提案者であり、交流会の実行委員長も務めていました。)
 
 
①3分ではなかなか話し切れなかったと思われますので、伝えたい事を要約で結構ですが・・・
今回の交流会に来ていただいた方はもちろんですが、今回の交流会に来れなかった方も高知ファンクラブというブログをキーワードにして、いろいろな話や色々な活動を共にやっていきながら、高知を元気にしていきましょう。
 
 
②取り組みにかけるあなたの思いなど。
私も大学の研究室配属されるまで、すごく身近に行われている一般参加の清掃活動やシカのネット張りなどの活動やイベントを知りませんでした。
大学に入学して何かやってみたいといった漠然と思っていました。
しかし、私がしっかりと地域に目を向けていなかった面もあるかもしれませんが、そういった情報に興味を持っていても知らなかったことが多くありました。
「高知ファンクラブ」を通じてそういった方に少しでも知りたい情報が届くといいと思っています。
 
 
③参加しての感想など・・・なんでも結構です。
交流会に参加してとても多くの地域での活動している方にお会いすることができてとてもよかったです。
今回のようにいろいろな方と手を取り合って地域をよりよくしていければいいと思いました。
参加していただいた皆様、また、開催を手伝っていただいた多くの方に御礼を言いたいと思います。
「ありがとうございました。」
それでは、また、お会いしましょう。

 

高知ファンクラブ」まんぷく交流会(オフ会) に関する記事

「高知ファンクラブ」運営事務局


女将さんたちの山菜狩り・・・新緑の山里を楽しむ
        ~どぶろくもお買い上げ~

 

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            (新緑の山をバックに山菜狩りを楽しんだ女将さんたち)

 

ホテル、旅館業を営む女将さんたちが山里を訪れ、山菜狩りや鏡川の名勝地での新緑を楽しみました。

 4月20日にマイクロバスで鏡地区に入った一行は、鏡庁舎で乗り込んだ川村市議のガイドで鏡川を遡りながら、小話や歴史の話を聞きながら梅ノ木地区に入りました。

 地主の川崎水雄さんの案内でいたどりやワラビを取ったり、タケノコを掘りました。
 昼食では、山菜弁当に山菜のテンプラがその場で出され、女将さんたちは大喜びでした。

 地元の濁酒を買い込んだ一行は午後、鏡川の名勝地「平家の滝」を訪れました。ここで平家落人伝説を聞いた後、さらに奥地にまでバスを乗り入れ、「木楽屋」という喫茶でコーヒーを飲みながら、日頃の忙しさをすっかり忘れて、憩いのひと時を満喫していました。

HN:鏡川大好き人間 サダヤンの徒然日記

 

鏡川流域の見所スポット  平家の滝 のページ

鏡川大好き人間 サダヤンの徒然日記

鏡川ファンクラブ


めしと汁

 経済大国になって、今は豊かな食生活の時代。いたる所にスーパーがあり、食品は店に溢れて豊満そのもので、食べたいものはいつでも食べ尽くして、特にこれを食べたいと思うものがなくなった。

 それに専業主婦も減って共働きの家庭が多くなり、今夜はレストランで御馳走食べてこうと、気軽に家族が出掛ける結構な時代になった今頃、昔の貧しい食生活の恥じさらしを少し書いてみた。

 昔、小学一年生に上がるのは数え年八才(満七才)であったが、年づよ(早生まれ、満六才)で行く者もあった。

 私は年づよの方で小学生になったので、分がたたなかったので、朝の食事や準備に母が一、二年はいろいろと世話をやいてくれて事欠がなかったが、三年生になってからは毎日遅刻で、一時間目の修身は済み、二時間目の算数のしまい頃か三時間目で、その授業中立ちらかされた。まことに恥ずかしいこと。

 なぜ学校に遅れたか。その理由は父の仕事(田畑、山林の仲介業、骨董品売買、金の貸し借りの仲立)の関係で、主に昼から夜にかけての用事で、毎晩夜ざれをこいて朝は十時過ぎにならんと起きん。母も遅い帰りを待ったり、伽をして共にするので朝は遅かった。

 まくら時計も無い。ふた親は起こしてくれんので一人で起きて、冷飯に昨夜の食べ残りのおかずをさがして食って、やっと学校へ行ったら遅刻の始末。四年生になると少し分が立ちだして遅刻がやまった。

青年期になって報徳読本(二宮尊徳)を読んで感銘した。なかでも「めしと汁、木綿着物は身を助く、其の餘は我をせむるのみなり」。これだけは是非とも嫁さん貰うたら実行すると決めた。

 私が家内を貰ったとき、次の弟は職人奉公に出て居なかったが、三、四番目の弟は小学生で、下の弟は学校前で、小さな家に七人の大家族。
 
貧乏家に嫁に来た家内は大難儀、三種の神器の無い時代、炊事(かまどに薪をくべて火吹竹ブウブウ吹いてご飯炊き、七輪に炭をうちわでパコパコあおいで茶沸かし、お汁たき)、洗濯は衣類に石鹸つけてたらいに洗い板でゴシゴシ。

 朝は早うから朝食の準備して、弟らを起こし食べさし学校にやる。長男ができると背なにおんぶして、やりつめてくれた。家内はほんとによくやってくれた。

 家内が来てからの朝食には、毎朝かかさず、めしに汁(豆腐の味噌汁)で、弟等は私の小さい時のような苦労が無くなった。

 私が家内を貰って五十余年間、正月の朝のおぞうに以外は年から年中、ひと朝もかがすことなく味噌汁を食べる。
この習慣は弟等と四人の子供らにひとりでに伝授されて、北村家の朝食はどこも味噌汁である。

◎とっと前の話、アメリカ人がオリンピックで日本人の活躍に驚嘆し、「日本人は牛肉も食わんのに、何を食ってあんなに元気ながと不思議で研究したら、たまるか大豆の味噌に大豆の豆腐で味噌汁食いよる。ありゃ日本の牛肉じゃ」とびっくりしたわ。

 

 

 

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