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2010年5月15日アーカイブ

みんなの力で流域の水源、三嶺の森を守ろう!

sikamaki1.jpgシカ被害防止用ネット巻にご参加ください

 三嶺の森では稜線部を中心に、シカの被害によって樹木が枯れ森林が失われています。
その被害を少しでも少なくするため、今回は、韮生越(にろうごえ)および白髪山登山口で被害防止用ネット巻作業を行います。


県民の宝、流域の水元である三嶺の森を守る活動に参加しましょう!!

詳しくは http://kochifc.net/2010/05/post-1582.html をごらんください。


1 日時 2010年5月23日(日曜日)→6月13日(日曜日)に延期になりました。

2 募集人員 75名
  ・集合場所A 高知市発 6時 四国森林管理局集合 6時10分出発
  ・集合場所B 南国市発 6時20分 南国市役所集合 6時30分出発
  ・集合場所C 香南市発 6時20分 香南市役所集合 6時30分出発
  ・集合場所D 土佐山田町大平発 6時30分 情報交流館集合 6時40分出発
  ・集合場所E 物部町大栃発 7時20分集合 奥物部ふれあいプラザ

3 当日日程
  ・ 7時30分 奥物部ふれあいプラザにて 開会式・班確認後、8時出発
  ・ 9時     登山口から出発 → 各班ごとに活動開始
            韮生越で樹木へのネット巻き(体力に自信のない方は白髪山登山口周辺)
  ・15時50分 登山口に集合
  ・16時     登山口発
  ・17時     奥物部ふれあいプラザ着
  ・17時40分 南国市・香南市着
  ・18時30分 四国森林管理局着

4 持ってくるもの
  昼食、飲み物、軍手、タオル、登山のできる靴あるいは、地下足袋、帽子・長そで

5 申込方法
  (1)氏名・住所・電話番号・年齢、(e-mail) (2)参加経験、(3)乗車場所(A、B、C、D、E)を明記のうえ下記あてに
    5月17日(月曜日)までに、お申し込みください。 

6 問い合わせ・参加申込先
  三嶺の森をまもるみんなの会 事務局 坂本 彰
  Fax&Tel : 088-850-0102 Email : akira@baobab.or.jp
  三嶺の森をまもるみんなの会 代表 依光 良三
  Tel : 0887-56-2366 Email :  yorimituryo@yahoo.co.jp 

  (上記のEmailは全角表示ですが、半角に修正してお送りください)

6 主催団体等
  主催 三嶺の森をまもるみんなの会、高知中部森林管理署
  共催 香美市・香南市・南国市、高知県

投稿者:物部川の清流保全

物部川の環境保全 さんの記事

物部川ファンクラブ


2010年4月24日(土)11時30分~高知工科大学食堂で、

奥ものべを楽しむ会」の人達が造る、美味しい地元料理でまんぷくになったお腹を抱えながら、
県下各地の"高知を元気にする"取り組みの交流を目的に、まんぷく交流会(オフ会)を実施しました。

「高知ファンクラブ」まんぷく交流会(オフ会) に関する記事

心を込めて料理を作っていただいた「奥ものべを楽しむ会」の皆さんや、朝早くからお手伝いに参加したスタッフの高知工科大学生に感謝の意を表しながら、第2部のコーナーに移動しました。

美味しい料理でまんぷくになった"オハラ"をかかえて、 

地域の活性化を応援する活動のプレゼンテーションが、坂本耕平・「高知ファンクラブ」事務局長の司会で進められました。

 

香美市塩の道保存会、体験農場夢の里公文農園ほか

奥ものべを楽しむ会参加団体
                          会長・公文寛伸さん

 

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奥ものべを楽しむ会(会長:公文寛伸)の取り組み

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まんぷく交流会(オフ会)開催のお知らせ3 香美市塩の道保存会、体験農場夢の里公文農園ほか奥ものべを楽しむ会参加団体

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奥ものべを楽しむ会 公文寛伸会長のスケッチコーナー1塩の道 

塩の道 に関する記事

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自然体験 土佐奥ものべ に関する記事

体験農場夢の里公文農園 に関する記事


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塩の道・いざなぎの里、物部から絵金の町、赤岡ヘ

                       香美市塩の道保存会 会長 公文寛伸

 

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地元、香美市の紙芝居作家 おかもとあつし  さん がこの塩の道の紙芝居を制作して 、楽しくて分かりやすい宣伝をされています。

塩の道のロゴマークも制作されました。

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1. 塩の道由来

 

文献によると天正から慶長の年代(400年くらい前)には、今の香南市香我美町岸本から吉川町にかけての海浜は一大製塩地であって、その塩田数は180とも200とも言われています。

 

赤岡には塩市が開かれていたようで、この塩を奥地に運ぶための道を塩の道と言ったそうです。

 

塩生産地と奥地とを結ぶ重要な産業道で、塩は庶民生活に不可欠のものであったため特にその名称が付けられたようですが、塩に限らず生活必需物資も運搬され相互往来の往還道でもあったようで、今でもその土地の特長を生かし、七浦往還、日浦往還など地名が残っています。

 

また、現在の「塩」「シオタキ」「塩が峯」等の地名も塩と関係していると言われています。

 

当時の最大運搬機関として馬が使用され、馬の背に塩や雑貨を積んで往来した関係で、馬の安全を祈願する馬頭観音が塩の道に沿った地区に祭られています。(確認6ヶ所)

 

私達は、今回大栃―赤岡間を塩の道として整備していますが、これはほんの一部で大栃より奥に入り、別府の四ツ足堂峠、久保の韮生越え、笹越えで祖谷へと、3つの往還が四国山脈を越して徳島へとつながり、奥地より浜へ、海より山へまさしく多くの人の生命を守っていたのが塩の道です。

 

2. なぜ今塩の道か

 

今の日本は政治、経済、地域社会どれを見ても大崩壊の続く毎日であり、想像もしなかった出来事や事件が頻繁に起こり不安というより恐怖感さえ感じます。

 

昭和30年代入り高度経済成長期に入った我国は、「ただ、強く・大きく・前に上に」を求め、日本の昔より受け継がれてきた、すばらしい歴史、文化、生活を、単なる踏み台として邪魔な物は壊し、新しい経済大国日本が生まれました。

 

しかし、片方には壊れ行く日本、今にも沈没しそうな日本です。昭和に生きた私たちは大きな責任がある。このような社会にしたのが、私達人間なら、これを修復して新しく進む道を決めるのも私達人間だと思います。

 

そこで、私達はこれからの地域社会を考える前に、私達の先祖が荷物を背に汗を流した塩の道の再整備を行い、今一度原点に戻り、歩くことに始まり、過去の歴史を少しでも把握し、これからの進むべき方向を見出したいとの思いでこの事業をはじめました。

 

○理由1

 

何百年にわたって使われていた塩の道が姿を消そうとしている今、このすばらしい歴史と文化を持つ宝物を、再現し次の世代に継承することが、私達に課せられた使命と信じたからです。

 

○理由2

 

日本ウォーキング協会の言う歩行文化、ゆっくり。ゆったり。心豊かにというスローライフの取り組みは塩の道を置いて他にないと信じたからです。

 

緑の自然の中を大きく息を吸って歩くことによって健康になり、地域を知り、人を知り、会話を持ち歴史を知ることが出来るのが塩の道です。

 

 

 

奥ものべを楽しむ会

自然体験 土佐奥ものべ に関する記事

塩の道 に関する記事

香美市ファンクラブ 

高知ファンクラブ」まんぷく交流会(オフ会) に関する記事

「高知ファンクラブ」運営事務局


屋上の巨大ブルドーザー                     情報プラットフォーム、No.246、3(2008)

 


  昨年の11月中旬に高知県技術者協会の見学ツアーに参加した。訪問先は枚方市の小松製作所(株)大阪工場である。

この工場では、中型・大型のブルドーザー、油圧ショベル、そして自走式の各種破砕機や土質改良機など、コマツ(略称)の目玉製品を生産している。

リーフレットにはコマツの歴史が短く記されている。「創業者 竹内明太郎が石川県小松市に小松製作所を設立(1921年)してからおよそ30年後(1952年)、戦後ゆれ動く日本経済の中でコマツの新たなる発展を目指し、大阪工場が誕生しました」とある。

情報一元化の組立ラインを見学しながら、乗用車生産ラインとは一味異なる重厚さを感じた。そして、10数年前に工科系大学の創設に関わって、高知の地を踏んだ頃を思い出していた。

 

 (株)太陽の山田通さんが読んで下さいと「沈黙の巨星~コマツ創業の人・竹内明太郎伝」(北国新聞社出版局、1996)を持ってこられ、母校の高知工業高校へ、正門脇の竹内明太郎の胸像へと案内して下さった。

同校が明太郎によって設立され、この本がコマツ発祥の地の小松商工会議所と明太郎の出身地の高知県の有志の調査により、直近に刊行されたものであることを知った。

これにより明太郎の足跡を要約すれば以下のようである。

父は宿毛の土佐上級藩士の竹内 綱であり、吉田 茂は異母弟になる。実業家・竹内明太郎は、掘り尽くして鉱山が廃坑になる時に備え、地域社会が寂れないような経営転換を考えて小松製作所を設立している。

さらに、欧米の高い工業水準と科学技術を支えているのは実践教育との信念から、早稲田大学理工学部や高知工業高校の創設に関わっている。

 

 読み進むうちに、私が高知で工科系大学設立に関わることは宿命であったと感じるようになっていた。高知、コマツ、工科大学の三角形が組み上がっているように思えた。

 

 明太郎は工科大学設立の構想を持って東京高等工業学校校長・手島精一に相談した。結果として、理工学部設置の悲願を持つ大隈重信を紹介されて、早稲田に理工学部ができることになった。

この東京高等工業学校は私の学んだ東京工業大学の前身であり、手島精一の銅像が大岡山の正門横にある。

私が東工大金属で学んだ1950年代は、テレビの放映とともに力道山のプロレスに熱狂していた時代である。

吉田宰相由来のワンマン道路と呼ばれる日本初の高速道路の建設や、川崎製鉄の千葉製鉄所の着工に象徴される巨大設備投資が始まっていた。

コマツもこの頃、大阪工場を起ち上げ、本社を東京に移して、大企業への道を歩み始めていた。私にとって、本社ビルの屋上のブルドーザーはコマツの象徴であり、魅力的だった。このこともあってか、多くの教え子がコマツに行っている。

 

 終わりに一言、蛇足を。愚息は横浜国立大学工学部金属を卒業し、コマツに就職している。公務員一家だった我が家に、身内の関わる初めての応援企業が誕生したのである。

道路脇の工事現場でブルドーザーを見ると「あ、コマツだ!!」と気にするようになっていた。ところで、明太郎の長男、強一郎は横浜高等工業学校の教授を務め、その後小松製作所に移っている。なお、この工業学校は横浜国立大学工学部の前身である。

 

 「ブルドーザーは1991年に撤去しました。巨大なコンクリート製でした」と工場案内の方が教えてくれた。

明太郎が「これこそが夢」と言うであろう高知での工科系大学の創設に参画できたことは望外の喜びである。山田通さんの夢もそれであったと思う。

 

ご感想、ご意見、耳寄りな情報をお聞かせ下さい。

鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」  目次

 

※高知県出身の偉人なのですね!(事務局)

無冠の先駆者 竹内明太郎

土佐の偉人⑦】竹内明太郎 : コマツの創業者


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