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このブログ記事について

このページは、会員No.1014が2010年6月21日 09:41に書いたブログ記事です。

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尾戸焼研究会(第一回)に参加しました

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6月19日、高知女子大学で開催された、尾戸焼研究会(第一回)に参加しました。

83(はちみつ)プロジェクトで知り合った、内川さんにお誘いいただきました。

以前、寺田寅彦記念館を訪問したとき、近くに尾戸焼の窯跡の記念碑があることを聞いて、訪ねていました。寺田寅彦記念館・寺田寅彦邸跡と居室を訪ねました・・・その3

 

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会議にはおよそ40名の方が参加され、内川さんより「尾戸焼研究会」の目的や構成について説明がありました。

尾戸焼の窯跡などのビデオ上映があり、郷土史家・森様の歴史的な流れの話と併せて、理解を深める事が出来ました。

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今回に続いて7月18日、8月21日、9月18日の予定で、計四回の研究会を行う予定が立てられていました。

お問い合わせは、事務局の内川古美術店(高知市北本町)・内川さん(電話090-3057-5861)まで!

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尾戸焼

やわらかな線、端整で薄作りの「尾戸焼」。承応二年(1653)二代目藩主山内忠義が、大阪から陶工久野正伯を招いて尾戸(現小津町)に開窯。文政三年(1820)に窯が能茶山に移されるまで、180年近く能茶山から尾戸へ陶土が運ばれ製作されていました。かつて、尾戸焼は将軍家や諸大名への贈答品として用いられ、現代でもお茶の席で親しまれています。

 

尾戸焼

承応2年(1653)藩主山内忠義公の命により、大阪摂津の陶工久野正伯を招いて、高知城の北、小津に開窯、原土は能茶山より取り茶陶が始まった。
 文政3年(1820)に尾戸より能茶山に移窯、御趣向石焼と陶窯による製陶が発展していった。
 当窯は、基衛が創立し現在四代目に至ります。周りには樹齢数百年を経た緑豊かな大樹、竹林等にかこまれ、焼成時には紫煙たなびく自然の中で、素朴な手作り品として長い間人々の生活用品として、皆様に愛好されております。
 当窯は茶陶と民芸品でありまして、茶陶の釉薬は灰釉であり、山水、花鳥等を絵付し、又象嵌等をしております。
 民芸品は片口、行平、湯呑み等に青紬、黒紬、飴紬を施し、生活に密着した素朴な民芸品として広く皆様方の間に好評を頂いております。

 

尾戸焼

尾戸焼は、承応2年 土佐藩山内家 の御庭焼として 高知城の近くに開窯、その後文政3年 能茶山に移窯しました.現代でも水簸(水で粘土を篩にかける)で精製し、主としてその土で作陶し、技術は開窯より丹精で薄作りの作風が伝承されています、尾戸焼の図柄として、松竹梅、雲鶴等の絵を呉須(陶磁器に用いる顔料の一種)で克明に手書きを施し、花瓶、徳利、茶碗などを焼き上げています。

 

 

HN:龍馬

尾戸焼研究会 に関するページ 

HN:龍馬 さんの記事(その2

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