2010年7月 1日アーカイブ
第1回 鏡川流域の情報交流会 を計画しました
鏡川の環境保全と鏡川流域の活性化を目的に 流域の団体や個人が、様々な情報を交流・発信し、共有する事を通して、
可能な範囲で、それぞれの取り組みを応援する、ゆるやかな連携をつくっていきたいと思っています。
"高知を元気にする"取組みを進めている「高知ファンクラブ」(代表・鈴木朝夫 元高知工科大学副学長)と「高知ファンクラブ」の中の鏡川流域の地域版、「鏡川ファンクラブ」(代表・野島幸一郎 高知市城山町、樹木医・造園部門の"土佐の匠"・高知市緑と水の会代表ほか)が呼びかけさせていただいています。
第1回 鏡川流域の情報交流会 を以下の日程で開催したいと思っています。
土佐山・鏡から浦戸湾に及ぶ、鏡川の環境保全や鏡川流域の活性化に取り組まれている方、また関心のある方是非お繰り合わせて,
またお誘い併せて参加いただけると幸いです。(取り組みの資料などがあれば、お持ちください)
第1回 鏡川流域の情報交流会
日時 2010年 7月17日(土)13時30分~16時30分
場所 高知県立ふくし交流プラザ 5階B会議室(高知市朝倉)
参加費:無料
駐車場あります
高知県立ふくし交流プラザ:交通のご案内
http://www.fukushi-plaza.jp/html/transpt.htm
参考:
「高知ファンクラブ」と「仁淀川ファンクラブ」では、仁淀川流域の活性化を目的に、「仁淀川流域"宇宙桜の会"」を開催し、取り組みをしています。
仁淀川流域"宇宙桜の会" に関する記事
http://blog.goo.ne.jp/niyodog/e/418c9dd2beb2e7407bb668f1782da980
第3回 仁淀川流域"宇宙桜の会" 開催しました(その1)
http://kochifc.net/2010/05/post-1613.html
お問い合わせは、「高知ファンクラブ」運営事務局までお願いします。
「高知ファンクラブ」運営事務局
HN:鏡川
6月25日、仁淀川町の中央公民館をお借りして、第4回 仁淀川流域"宇宙桜の会" を開催しました。
これまでの3回の会議を踏まえて、仁淀川流域を活性化させるための具体的なアクションを起こそうと言うねらいで、会議が進められました。

仁淀川町の大野教育長から、宇宙を旅してきて植えられた"宇宙桜・ヒョウタンザクラ"のその後の生長状況や、有人宇宙システムKK・プロデューサー長谷川様が苗を見に来られたことなどの報告がありました。
その中で日本さくらの会では、ワシントンに桜を送って100年になる事を記念して、米国からの要請を受けて桜の種を送る取組みをしている事の報告もありました。
仁淀川流域"宇宙桜の会"では、佐川町と仁淀川町の子ども達が関わって桜の種を集めて、素晴らし体験と思い出を作ったことを大切にしながら、


流域の子どもたちが自分達の住んでいる仁淀川地域を誇りに思える取り組みをしていく事を話し合いました。
前回に続いて参加していただいた羽迫さんからは、会場に展示された高知市神田の「アジロ山自然の森」で繰り広げられる"森のようちえん"の話をしていただきました。


羽迫さんからは、仁淀川流域に"川のようちえん"を作って、家族連れで仁淀川を楽しめる場所を作っては・・・との提案がありました。
仁淀川の活用を図っている「仁淀川お宝探偵団」の城下さんからは、"川ガキ"を作りたいと・・・2ヶ月に1回ぐらいで、水生生物を探しながら子ども達と川に親しんでいる事が報告されました。
ライフジャケットを着用した"カッパの川流れ"なども計画されており、また8月22日には、仁淀川国際水切り大会も計画されているなど、取り組みが進んでいます。
によど自然素材等活研究会の井上代表より、8月末には、仁淀川交流会議も予定されていることが報告され、
によど自然素材等活研究会の井上代表を中心に、「仁淀川お宝探偵団」の城下さんや仁淀川流域に"川のようちえん"を作るという提案をしていただいた羽迫さんとも連絡を取り合って、
次回の会に、流域に1箇所 "川のようちえん"を作れそうな場所を提案していただく事にしました。
「アジロ山自然の森」の取り組みに学びながら、そして多くの方たちの協力をお願いしながら、子ども達や家族が安心して豊かな仁淀川の自然を楽しめる場所づくりや、遊びを通して沢山の"川ガキ"が育っていく事に期待をこめて取り組んでいく事を話し合いました。
次回、第5回 仁淀川流域"宇宙桜の会" は、
7月30日(金)14時~16時、越知町の横倉山自然の森博物館をお借りして開催する事にしています。
仁淀川流域の活性化を応援する取り組みに関心のある方、力を貸していただける方の参加を期待しています。
お問い合わせは、「高知ファンクラブ」運営事務局までお願いします。
HN:仁淀川
数元さん(父)
父は貧乏育ちで貧しさに耐えた、時代のせいで当時偉いのは大地主か大商売人だけで、小作人やその日稼ぎの職人や労働者は、精出して働いても家族が生きていくのがせっぱいで、家族が誰か病気でもすると、薬代や物入りで金がいるから、大家、金持ちに、土地や物を抵当に入れて金を借りる、普通で生活がようようなのに借りた金を払えるわけがない。
やがて抵当はのっとられるから大家は嫌でも太る一方、そんな時代が昭和の始めまで続いた。
そんな時代を生き抜いたせいか、父は貧乏しても平気でのんきな人でした。遊びは人一倍、夏の日は雨さえ降らねば、毎日、日にち鰻釣りか鮎掛けに三ヶ月、秋は雉や小鳥撃ち、山をそおついての茸採り、その間女房子供が餓えるなんて心配しない、店で借りてきて食ちょれ、暮れが来たら働いて払うと平気で、ひと以上に遊びはえらかった徳な人。
商売柄で付き合う人は大家の旦那や知識人達であったが、中でも町一番の大家、岡豊の若旦那とは耳きれの仲良しで、狩猟から料理屋遊びの付き合いまで、高知の得月楼では二ヶ月余りも飲み食いで遊びほうけた。
金が切れると父が帰り、山や田畑を売って資金を調達して遊んだ。お付きの父は酒は弱く好きでなかったので、芸者を相手に三味線や色々なケンや歌までよく覚えた。時折歌っていたドドイツは中々上手であった。それでも貧しい人の味方もして、数元さんはむつかしい言われながらも、割に人には好かれた。
話術がうまかったので人が寄ってきて、話がはずんだ。選挙でもあると、名士や立候補者が必ず尋ねてきて話し合ったり、研究していた。今になって考えてみると、父はのんきな人のように見えるが、若い時からの色々な苦難や負けん気、しぶとさで研究心が強く、何をしても秀でた。
若い時、禿げ山で射的の競技会があったが二年続けて一等、ハエ釣り競技でも一番、鰻釣りも名人になった、理屈も口喧嘩も決して人に負けなんだ。
年がいてからも炉端でたばこをスーパ、スーパと吸いながら、静かに考えにふけっていた。
父は人を引きつける魅力があった、私達兄弟には、父ほど人を近付ける魅力が無いのか、時代のせいか人は寄って来ない。
魅力のある人は立派で偉いなぁと感心し、生活は貧しくても本人は割に大平な気分で幸せであるのではないかと思う。
父は打ち 母は抱きて哀れむを
変わる心と 子や思うらん
慈母は 愛児を守りて
少時も心を 放つことなく
水火の難をさけて
その危害を受けざらしむ
潤いも無き くが(陸く)の上に
なげ捨てられし 魚のごと
まどわしゃの国を のがれんとて
心ひたすらに たち騒ぐかな
門戸の守り堅ければ 財を失ふ憂なし
障壁の囲み崩れなば 財を守りて安からず
ひょう火微なりと雖も
小なるを以て侮ることなかれ
炎の過ぐるところ 草木盡く灰に帰せん
造悪微なりと雖も
深く慎みて軽しとなすなかれ




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