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2010年7月10日アーカイブ

7月25日(日) AM10:00~PM4:00 高知住環境パートナーズの

住まいをよくする職人ネットワーク・ぼっちりファミリーのお楽しみイベントが開催されます。

7月25日(日)に 高知住環境パートナーズのお楽しみイベント ご案内1 

 

今年のコンセプトは"もったいない!"

恒例の「ぼっちり学習会」、今年のコンセプトは"もったいない!"です。

子供も大人も、環境配慮や省エネなどのことを楽しみながら考えてもらえば、と考えたからです。

さらにパワーアップした今年のぼっちり学習会、さあ、ご家族・ご近所の方々とお誘いあわせの上ご参加ください!

 

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           (雨の中でも大盛況で行われた、昨年の「つくろうコーナー」)

高知住環境パートナーズのお楽しみイベント・・・INAXショールーム
雨の中でも大盛況!・・・7/26(日)高知住環境パートナーズのお楽しみイベントその2
雨の中でも大盛況!・・・7/26(日)高知住環境パートナーズのお楽しみイベントその1

 

家づくりを行う職人のプロ集団「高知住環境パートナーズ」が、今年も夏休みに"親子で楽しめる"お楽しみイベントを企画されました。

つくろうコーナー」では、家づくりを行うプロ集団の職人さんが講師になって"ものづくり"の楽しさをやさしく教えてくれます。

 

ご予約は7月10日(土)・11日(日)の2日間、

10:00~16:00まで受付ています。

フリーダイヤル 0120-518-072 で受付ています。

(ご予約はお一人様一点のみとさせていただきます。お陰さまで、例年大変好評で比較的早く定員一杯になっていますので、お早めにお申し込みください。)

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HN:応援隊

高知住環境パートナーズ  さんの記事

HN:応援隊  さんの記事


龍馬十景 ⑤ 鏡川・・・龍馬の原風景        

                                   根木 勢介

 

 

 人間は、誰も「故郷」を持っている。 鏡川は、龍馬の生まれ育った所から近く、龍馬の遊んだ川。 高知市を流れ、「影を映すこと鏡の如し」と美しいところから鏡川と命名された。 

 

写真は、鏡川の土手にある樹齢1000年と言われているクスノキ。 近くには龍馬の父八平の実家もあり、龍馬もこの大木に登ったかもしれない。

 

 

5-1.jpg 龍馬は訪問が好きで、出会いの達人とも言われる。 百聞は一見に如かずと言われるが、龍馬は「一見の価値」や、さらに百冊の本を読むより、その著者に会って直に話を聞く方が、最も理解できることを知っていた人。 

 

ただし、受信能力を高めないと理解力は身に付かないし、発信能力(構想力)は、優れた受信能力なしでは生まれない。

 

 

 龍馬は、土佐では河田小龍、江戸では勝海舟に出会って、大きな影響を受けたと言われる。 しかし、私は、受信能力の下地は二人に出会う前に既にできていたとみる。 

 

龍馬愚童説もあるが、信じがたい。 若年の頃より「人に教えを乞う姿勢」が、何も知らない龍馬という愚童説へとつながったのだろう。

 

 

 龍馬の生家周辺は、町人社会ともいうべき環境で、世の中が武士だけで構成されているのではないことを理解したのだろう。 

 

また、若き日よく訪れた龍馬の継母伊与の婚家の里仁井田は、海運・流通業の地である。 海外や国内情報などは、ここで聞いたのだろう。 土佐湾に至る鏡川周辺が、龍馬という人間の原風景を形作っていると、私は考えている。

 

 

                         龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.160 より転載

 

 

 

根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ 

 

坂本龍馬ファンクラブ


効率的・経済的・利便性が仇                 情報プラットフォーム、No.226、7(2006)

 

出典:大八車   出典:ベカ車

     酒樽を積んだ大八車                                        消防ポンプを積んだ大八車


 雅の人の乗る御所車をゆったりと曳くのは牛であり、平安時代の風景である。駕籠は大名の乗る豪華なものから、旅する庶民の乗る簡単なものまで様々であるが、江戸時代の乗り物の象徴である。明治時代に入ってから人力車が駕籠に取って代わる。

 

 人間社会は常に効率性を求めているのだから、歴史は進歩の跡を辿ることであると仮定すれば、乗り物の変遷は「駕籠・輿(他人が担ぐ)→乗馬(動物に乗る)→人力車(他人が引く)→牛車・馬車(動物が引く)→自動車(機械が動かす)」の順序を発展と考えるのが妥当であろう。

しかし、日本の歴史の中には馬車全盛の時代が見あたらないのである。このようなことに刺激されて、板倉聖宣さんの著書を読んでみた。

 

  長崎から江戸へ駕籠で旅をした外国人の日本紀行には、「私はこれほど便利な乗り物を見たことがない。まさに移動する部屋のようである。」、「道路は広くかつ補修がよく行き届いている。

歩くか、駕籠であり、車輪を備えた車がないためだろう」と記述されている。日本では、馬車のようなものが存在しないので道が痛まないと観察したのである。

 

  水の都・大阪で「橋にベカ車を通してはならない。それは橋を傷めるからだ」との禁止令があった。表向きの理由である。

「ベカ車は人力を助け、人を使って運ぶ賃金を減ずるなど役立つものであるが、そのために船方や馬方の荷物が減少して難儀しているとのことである。

馬方はお上のご伝馬役を務め、船方は税金を幕府に納め、年中船役を差し出している。これらが困窮するようでは御用を怠る可能性も出てくる。

馬方や船方の仕事を減らさぬようベカ車で遠くに荷物を運ばないように心得よ。」と大阪の町奉行所は通達を出している。

その後、積み荷の制限、事故防止のための二人引きの義務、所有者の表示義務など、次々に制限が強化されている。

ベカ車の総数は2000台弱と一定に押さえられたのである。ベカ車はその便利さ故に、経済効率が高いが故に抑圧されたのである。

  江戸では大八車である。江戸城本丸まで焼いた明暦の大火(1657年)の復興のために必要だった。

「牛車大工 八右衛門と申す者、工夫つかまつり、人力にて引く荷車を始めて作りだし、・・・」と文献にある。馬持ちや牛使い達と大八車の車力(車引き)の間の積み荷争いは大阪と同じようにあった。

かけ声を掛けて威勢良く走る大八車に対する交通事故の罰則は厳しかった。総数は4000台ほどと推定される。

江戸では、復興期に功績のあった大八車の営業をむやみには制限できなかったようである。

 

  円盤状の木版の車輪の粗末なベカ車、スポーク付き車輪を持つ大八車が便利さ故に冷遇された時代である。

日本に馬車の時代があり得なかった理由がわかった気がする。江戸時代は極端に既得権益を尊重することで成り立っていた社会である。

武士の石高(収入)は先祖の功績で決まっていたことから理解できるだろう。今の社会にもこのよう例は沢山ありそうである。


 参考:「日本史再発見--理系の視点から」板倉聖宣著、朝日選書、477、(1993,6)

 

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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