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2010年8月 1日アーカイブ

名水

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間瀬です。今日は暑いです。ここで暑いので市内はすごいことでしょう。

今日は梶ヶ森にある名水を紹介します。

P1010226.jpgのサムネール画像

ここから引いた山荘の水はおいしいです。今日、原水を飲みに行きましたが山荘のほうが

おいしいです。さらにろ過をしているからか、もっと冷えているからか、わかりません。

山荘の水はおいしいというよりのどがかまえずに通過をすーーっと許してくれます。

原水はもっとおいしいだろうと期待しましたが感動しませんでした。

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P1010224.jpg P1010225.jpg

お越しの際は家の水と比べてください。

P1010214.jpgのサムネール画像

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龍馬十景 ⑧ 京都・・・龍馬の五つの顔        

                                   根木 勢介

 

ryou8-1.jpg 「海援隊の性格は多角的で、倒幕結社、私設海軍、航海学校、海運業務、内外貿易という五つの顔があり、

その五つの顔を、竜馬が一つにまとめて統率、竜馬にもこの五つの顔があった、・・・・・・・竜馬にとっては、ときに革命は片手間の仕事であった。」

 

 

 司馬遼太郎さんは、「竜馬がゆく」でこのように書いている。

 さて、龍馬は、この五つの顔により、反幕側だけでなく幕府側にも情報源をもち、幕末当時最大の情報収集家になった。 

 

龍馬が、その情報収集力により時代の先を読めたのも、日本の政体構想を持ち得たのも、ある意味当然のことかも知れない。

 

 

 高知県では、今土佐二十四万石博が開催されているが、高知城の天守閣から四方を眺めていると、奇妙なことに気がつく。 

 

幕末に活躍する志士やその後の自由民権運動の中心活動家が、西側に当たる龍馬生誕地周辺に誕生し、密集していることがわかる。 

 

また、龍馬につながる家系にもだが、お城の西側に、キリスト教信者になった人が多い。 龍馬が、キリスト教をどのように考えていたかについては、佐々木三四郎日記にあるようだが、興味深い。

 

 

 「アメリカでは大統領が下女の給料の心配をするという。 三百年、徳川将軍はそういうことをしたか。 この一事だけでも幕府は倒さねばならない。」と龍馬は考えており、その発言が土佐に伝わり、土佐の青年が奮起したといわれる。

 

 

 土佐にあだたぬ男(武市半平太の言)龍馬が、本当にやりたかったことは、世界の海援隊だったのか、考えてみたい。

                        龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.163 より転載

 

 

 

根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ 

 

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