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2010年8月16日アーカイブ

龍馬十景 ⑩ いのち・・・龍馬の手紙から         

                                   根木 勢介

 

 

ryou10-1.jpg いつも死と隣り合わせの世界に生きた龍馬。 「いのち」に関する彼の言葉は、やはり多い。 彼の残された手紙を見ると、再度脱藩した文久三年(1863年)に多い。 その中の一つを紹介。

 

 [文久3年3月20日 坂本乙女あての手紙より]

 

 「・・・・・。 運の悪い者は、風呂より出ようとしてキンタマを割って死ぬ者もある。 そのような人と比べると私(龍馬)は運が強く、死ぬような危ない目にあっても死なず、自分で死のうと思っても、生きなければならないことになる・・・・・。」

 

 自分のいのちは「天」が決めると頓悟している。 龍馬が寺田屋で伏見奉行所捕吏に襲われた事件でも「切り死に」より「生きて逃げる」ことを選んだ龍馬である。 

 

自分のいのちについては覚悟があるので、自然と他の人のいのちのことに関心が向いたのでは。 蝦夷地開拓を考えた龍馬の動機のひとつは、攘夷派の浪士たちのいのちを救おうと考えたことだった。

 

 亀山社中時代、近藤長次郎が英国密航を企てて盟約違反により仲間から切腹を迫られて死んだが、龍馬が側にいれば近藤も死なずに済んだのではといわれる。 

 

龍馬の死生観から言えば、十分あり得る。身辺でもたくさんの「死」を見てきた龍馬だから、なおさら、いのちについての思いが強かったのだろう。

 

 

 特に、晩年は自分のいのちの危険もわかっていた。 自分のいのちは、「天」が決めるとの覚悟があるので不用心になったのだと思う。

 

 

 「龍馬十景」読んでいただきありがとうございました。 私にとっては、龍馬の魅力を見直すきっかけとなりました。

 

                 龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.165 より転載

 

 

 

根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ 

 

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