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2012年1月 2日アーカイブ

 

新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
今年の予定が既に幾つかありますので、年賀の一部からご案内させて戴きたいと思います。

 大震災と原発事故を重く受けとめ、足元を固める取り組みとして、今年は 2/26「潮江こども祭&防災フェスティバル」(わんぱーくこうち 芝生広場)をはじめ、3/18「仁淀川こども祭&お国自慢大会」(いの町波川公園)、8/26「物部川こども祭」(アンパンマンミュジアム前広場予定)、10/7「第3回鏡川こども祭」(鏡川トリム公園・昨年は1500人の親子が参加)などの準備を進めています。
 「高知ファンクラブ」を主宰して5年目を迎え、多くの皆さんとの連携で、70を超える情報発信ブログと"高知を元気にする"ボランティア集団の取り組みが、お陰さまで目に見えるようになって来ました。

今年も"高知を元気にする"ボランティア集団の取り組みを、楽しく元気に進めて行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします


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高知を元気にするボランティア集団 
高知ファンクラブ http://kochifc.net 
運営事務局  坂 本 耕 平
〒781-0312  高知市春野町平和638
TEL(FAX兼)  088-842-7649  
携帯 090-2781-7348
E-mail : tukasa1@ir.alptec.net
高知県メタンハイドレート開発研究会
  http://blog.goo.ne.jp/metanh-k
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 JR薊野駅(高知市)の西方100m32号線北側に掛川神社がある。

P1010236.JPG 参道に続いて石段を上がると拝殿と本殿の境内である。

P1010202.JPG


 国道からの入口の鳥居。











P1010207.JPG 拝殿は新しくなったばかりで、今年落成祝いという。

 

 掛川神社の歴史は、江戸時代初期の1641年(寛永18)二代藩主忠義が産土(うぶすな)神(生まれた土地の守り神)の牛頭(ごず)天王(厄除の神。頭上に牛の頭を持つ忿怒相)を遠州掛川(静岡県、山内一豊移封前の地)から勧請して、高知城東北の鬼門の守護神に牛頭天王宮を建てたのが始まりである。

 1868年(明治元)掛川神社と改称される。

 幾つかの神社を合祭しているが、その一つの東照神社は1680年(延宝8)、四代藩主豊昌が徳川家康の位牌殿を設け、江戸時代後期の1814年(文化11)に12代藩主豊資が境内に社殿を築造して東照大権現と称したが、1868年(明治元)東照神社と改称し1880年(明治13)合祭した。

P1010232.JPG

 その証が拝殿の軒奥に徳川将軍家の「三つ葉葵」紋である。









P1010226.JPGP1010233.JPG









 また、参道石段の手水場の石手水鉢の正面とその側面も「三ッ葉葵」紋がみられる。「三ッ葉葵」紋は土佐の神社のうち唯一のものという。


 掛川神社の石段手前を左折して右手の高台に国清寺がある。南面に庭のある一見民家かと見間違う建物である。

P1010216.JPG

 国清寺は江戸初期の1617年(元和3)、比島・龍乗院の開祖日讃和尚の開山。

 牛頭天王宮(現掛川神社)の別当寺(神社に付属して置かれた寺院)。 

 徳川家の菩提寺・上野寛永寺(天台宗)門主支配の寺で、三重塔や護摩堂などがあったという。 藩主の尊崇は篤く、上級武士や学者文人とも深い交流があった。

 だが、明治維新後の廃仏毀釈(国の神道国教化政策による仏教排斥運動で、仏堂、仏像等の破壊が全国的に起こった)により廃寺となる。庭には破壊を示す傷ついた石仏がある。

P1010234.JPG

 傷ついた石仏

 首のない石仏、首の代わりに石をのせた石仏、安産地蔵尊は三つに割れて継いでいるなど痛ましい姿である。





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 1870年(明治3)、政府による切支丹弾圧で土佐へ総勢116人が縄で繋がれて松山から険しい四国山脈を越え、越知の横畠を経由して赤岡と江の口の牢に収容されたが、過酷な環境で三分の一ほどが死亡する。

 1871年(明治4)〜1873年(明治6)まで、90人ほどが牢舎から同寺に移され生活していたという。

 1873年(明治6)、総勢83人の切支丹は許されて長崎のかえされた。

 1880年(明治13)、京都相国寺の独園大禅師がここに参禅道場・退耕庵を開いたことを契機に国清寺を再興した。

 現在の国清寺は臨済宗相国寺派の禅寺で、本尊は釈迦如来である。

 掛川神社の参道に同神社と国清寺の解説板がある。

HN:バンダナ

 


新年明けましておめでとう御座います。

今年も「アシロ自然の森」への温かいご支援をお願いいたします。

1月14日(土)には「森の落ち葉やどんぐりと遊ぼう」の行事を企画し

行いますので是非家族で気楽にご参加下さい。

参加費は一人200えんです。

申込は FAX かメールでお願いします。 

 電話 088-843-8533

メール  森の落ち葉で遊ぼう030.jpg


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