今年の4月29日念願の店舗をもてました!久礼八幡宮の公園前青いテントが目印です。
こだわりの鮮魚はもちろん完全ワラ焼き鰹タタキや自家製ウツボのタタキ自慢の品々
取り揃えています!!近くにお立ち寄りの際は是非、やまちゃんと気軽に声かけてください
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今年の4月29日念願の店舗をもてました!久礼八幡宮の公園前青いテントが目印です。
こだわりの鮮魚はもちろん完全ワラ焼き鰹タタキや自家製ウツボのタタキ自慢の品々
取り揃えています!!近くにお立ち寄りの際は是非、やまちゃんと気軽に声かけてください
羽迫博己さんの町屋あれこれ~窪川の玄関 志和港 ~

近代のあけぼの
~窪川の玄関 志和港 (大正元年撮影)~
久礼坂に郡道が出来るまでは、窪川、幡多
地域からの物資や、藩政期の土佐の殿様
に納める年貢米などは、全てこの志和港
から船便で高知城下に積み出されていた。
港の近くには米蔵があり、米を中心に、
志和坂を馬の背に米俵を乗せ運ばれ、
村は大いに栄えたところであった。
また帰り便には、高知城下から生活物資を
積み込んで帰港した。
仁井田郷の玄関口として繁栄し、多くの
商家が軒を連ねていた。
羽迫博己さんの町屋あれこれ~四万十町興津の竹生垣集落~

~四万十町興津の竹生垣集落~
興津は昭和23年まで与津村といい、
土佐藩領であった。
今では蓬莱竹(大名竹)の生垣で囲まれた
農村集落です。
集落には郷地区と浦地区に分かれており、
生垣は郷地区にある。
徐々にブロック塀に代わろうとしているが、
高知県は伝統的建造物群保存地区に
この竹生垣を指定・保存しようとしている。
羽迫博己さんの町屋あれこれ~四万十町本町の町並み~

~四万十町本町の町並み~
江戸時代は窪川山内氏が当初古渓山に城を
構えたが一国一城で取壊されその麓(今の
新開町辺り)に居を構えその土居を作り居住
整備をした。場所がら中村街道と窪川宇和島
街道の分岐点にあたる所から、商業が発達し
多くの町屋があった。
産業は農業を中心に中でも仁井田米は
有名であった。
町並みを歩くと、本町の造り酒屋辺りに
点在しているが、
町並みとしては形成されていない。
羽迫博己さんの町屋あれこれ・・・四万十街道ひなまつり2011(その6)


羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・飛翔の像

飛翔の像
文久2年3月、高知城下をあとにした坂本龍馬と沢村惣之丞
(関雄之助)の脱藩ルートは、梼原の宮野々関から
九十九曲峠を越え、城川町土居を経て、宇和島・長浜
方面から、長州へ渡ったとされている。
~新しい脱藩ルートの確認~
宮野々関~韮ヶ峠~野村町~河辺村~五十崎町~
大洲~長浜~長州
平成9年4月、龍馬と惣之丞、道案内をした那須俊平の
群像建立計画が持ち上がり実現した。
除 幕: 平成10年7月16日
題 字: 飛翔の像
規 模: 本体~2,35 ㍍、台座~2,3 ㍍
総高~4,65 ㍍
事業費: 1163万円
顕彰碑
新しい時代の予感が28歳の龍馬の心をとらえた。
脱藩という大罪を犯して、大望のために土佐を捨て、
河辺村榎ヶ峠に至ったのは、文久2年3月26日。
近代日本の誕生に命を賭けた龍馬の旅は、
ここ河辺村から始まった。
この坂本龍馬脱藩の道は、平成8月11月1日に文化庁
の「歴史の道百選」に選定された。
私たち河辺村民は、この道を文化遺産として大切に
保管することを誓い、ここに龍馬、総之丞、俊平の
顕彰碑「飛翔の像」を建立する。
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