羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・武市半平太 1

武市半平太先生
土佐勤皇党盟主 武市半平太は、文政12年(1829)
9月27日、長岡郡仁井田郷吹井村の土佐藩白札格
武市半右衛門の長男として生れる。
本名は小楯、瑞山は号である。
幼少から城下に寄萬して、学問・絵画・剣術の修行に励み、
22歳で新町に道場を構えて、弟子の指導にあたった。
28歳の安政3年、鏡新明智流に入門し、
短期間で皆伝を受け、塾頭に推挙される。
井伊大老暗殺事件後の万延元年(1860)から中国・九州を
歴訪、勤皇の志士としての志を固めていった。
翌文久元年8月、江戸で土佐勤皇党を結成し、盟主に。
9月土佐に帰って同志を募る一方、藩庁に働きかけて、薩長
に遅れじと土佐藩を挙げて勤皇に進むべしと進言した。
文久2年(1862)4月、山内容堂の意を受けて、反対する
吉田東洋を暗殺し藩論を変革、藩主豊範を擁し上洛した。
土佐藩は薩摩、長州と共に京都警備、国事周旋の朝命を
受け半平太は他藩応接役となり、10月には留守居組に
昇格ている。
土佐勤皇党の全盛期はこの時期までで、翌文久3年8月、
京都政変で公武合体派が政治の主導権を握ると、
容堂は勤皇党弾圧に踏み切り、9月半平太も
同志とともに捕えられた。
南会所の獄にあること1年9ヶ月、慶応元年(1865)
5月11日切腹を命じられた。37歳。
墓は生家近くの武市家墓所にあり、
また瑞山神社として祀られている。
除 幕: 昭和61年6月7日
題 字: 武市半平太先生 字 中内知事
規 模: 本体~3,0 ㍍ 台座~4,5 ㍍
総高~7,5 ㍍
事業費: 2、047万3,000円
所在地:須崎市浦の内
横浪半島
獄中で詠んだ詩
花依清香愛 ~ 花は清香によって愛せられ
人以仁義栄 ~ 人は仁義を以て栄ゆ
幽囚何可恥 ~ 幽囚何ぞ恥ずべけん
只有赤心明 ~ 只赤心の明らかなるあり













































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