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羽迫博己さんの、土佐人の銅像15・・・坂本龍馬先生之像

坂本龍馬先生之像

この像は石材である。
 高知県展立体部門無鑑査の作家狩野信児さんの作品。
 桂浜の坂本龍馬像をモデルに制作、寄贈した。
 
     備付: 平成13年4月27日
     素材: 本体~中国産黒御影石、台座~白御影石
     題字: 坂本龍馬先生之像
     規模: 本体~0.65 ㍍、台座~1.1 ㍍
          総高~1.75 ㍍

所在地:
   高知市浦戸城山龍馬記念館前

 

坂本龍馬銅像 設立趣意書

桂浜の巌頭にくだくる太平洋の荒波が不断のノミをふるって彫り
   あげたものに、長宗我部があり、維新の志士があり、
    岩崎があり、浜口がある。
 大政奉還を中心とする明治日本の創業史をひもとく時、吾人は今更
   ながら先輩のこう業のかくやくとして雄麗なるに心躍るを覚ゆる。
 なかんずく坂本龍馬が維新史における重要さを思うとき、うたた一剣
   風雲をよびこしょう天下に鳴りし彼が豪快を偲ばざるを得ない。
 おもうに彼が世にありし、雄略ならびなかりし三十ゆう三の生涯は、
   一意明治日本の創建にささげ尽くされたというべきである。
 恨むべし京洛秋風せきれきの夕べ凶刃このめいけいじを奪い、
   志業中道にして砕け、壮心ついに施すに由なからしめた。
 何等の凶刃ぞ何等の恨事ぞ。
 しかも彼が回天の壮図はなかば功を収め国本ようやく固く、皇運天譲
   と栄ゆるべき基は不抜に培われて、鴨川のほとり彼がそそぎし
   鮮血千歳にわたって紅を吐き、彼の栄誉永く日本の歴史と共に
   生くというべきである。
 同人等先生の高風を慕うこと、ここに年あり、此の度相図って広く資
   を募り先生の像を建てんことを発願した。
 おもうに先生の大業を誤り無く伝えるの道は別に史家にえんだいの
   筆これあるべし。
 吾人は別に一家の見を有する。
 即ちにっせき先生の英姿をせんぎょうすることによりて第二第三の
   坂本をこの土に生ぜしめんとするにある。
 すなわち吾人の期待はかかって次代にあり未来にある。
 爾来南海の地才俊多く、今郷党のために万丈のこうえんをあぐ。
 しかも同人の期待は更に百代の後嗣に之を継ぎ、千歳のこうこんに
   之を見んとするにある。
 頭をめぐらせば国事日に多端にして国歩日にけんかんを加う。
 時運非にして英雄を思うは古今同てつである。
 第二の坂本出でよ、第三の坂本出でよ。
 同人の期待は、意図はここにある。頑是無き少年といえども其の蕨の 

如き拳を振って発奮を誓うべきを思えば、吾人の企てにかぎりなき
   命の躍動覚ゆるではないか。・・・・・・
        昭和二年五月  坂本龍馬先生銅像建設会同人
 

坂本龍馬の写真

慶応2年(1866)6月、長崎の上野彦馬
   (我が国の写真術の始祖)
   の写真館で撮影されたものとみられている。

 

羽迫さんの世界

土佐の銅像と 津江美和さんの写真

四万十川流域のひなまつり・・・羽迫博己さんの世界 

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羽迫博己さんの、土佐人の銅像14・・・坂本龍馬先生像

 

坂本龍馬先生像

天保6年(1835)11月15日、高知城下で
   郷土坂本八平・幸の次男として生れた。
 14歳から日根野道場で剣術を学び、19歳から2度に
   渡って江戸に遊学、千葉道場で剣を磨く一方、
    米国軍艦の来航に伴う沿岸警備等を経験する。
 土佐に帰っては、知識人で画家の河田小龍に啓発され、
   海軍の強化、通商航海の必要性を強く認識した。
 文久元年秋、土佐勤皇党に加盟、武市半平太の命を
   受けて長州を訪問、藩の枠組みを超えた久坂玄瑞の
    思想に触れ、翌年春帰国後、3月24日脱藩。
 長州・九州を経て江戸に赴き、幕臣勝海舟に師事して
    海軍建設の計画を推進した。
 神戸海軍塾解散後は薩摩藩の保護を受けながら、
   同志を集めて長崎で「亀山社中」を設けて通商航海業
   を営み、中岡慎太郎らと連携して慶応2年(1866)1月
    の薩長同盟成立に大きな役割を果たした。
 翌3年1月、長崎で土佐藩参政 後藤象二郎と会見、
   相提携して国事に尽くすことになり、脱藩を放免され、
   「亀山社中」を解散して土佐藩の遊軍海援隊とし、
    その隊長となった。
 同年6月には、横井小楠の「国是七条」を下敷きに、
   大政奉還論とその後の国政のあり方を示す「船中八策」
   を作成して、後藤象二郎に示し、土佐藩からの
    大政奉還建白が実現した。
 10月14日、将軍慶喜が大政奉還を上奏、龍馬は新政府
   の構想に奔走したが、15日夜、京都近江屋で同志
   中岡慎太郎と会談中、幕府見廻り組の刺客に襲われ、
    闘死した。 33歳。
              墓は京都東山区の霊山墓地にある。
     徐 幕: 昭和3年5月27日
      題 字: 坂本龍馬先生像
      規 模: 本体~5,3 ㍍   台座~8,18 ㍍

      総高~13,48㍍ 事業費: 25,695円

所在地:
   高知市浦戸 桂浜公園龍頭岬

 

羽迫さんの世界

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・6 鶴田塾跡

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓

長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社

 

第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217

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⑤ 秦神社から、⑥ 鶴田塾までは、長浜の街中を歩きます。車に用心しながらゆっくりと歩きました。 

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南国土佐へきてみいや:鶴田塾(少林塾)跡 - 岩崎弥太郎の人生を変えた

鶴田塾は、吉田東洋が蟄居中に開いた塾ながです。

蟄居しちょった理由は、吉田東洋が安政元年に江戸に出府中の折、山内家の親戚でもあった旗本・松下嘉兵衛に無礼を働いたと言う事なが。

この鶴田塾の門下生には後藤象二郎や福岡孝弟、間崎哲馬や小笠原謙吉などが居ったけんど、岩崎弥太郎もその一人ながです。
 

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鶴田塾跡

 

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土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

 

⑥ 鶴田塾

鶴田塾は少林塾ともいい吉田東洋が謹慎中に人材育成を図り開いたものである。

嘉永七年、鶴田塾で山内容堂が親戚で旗本の松下を招き酒宴を開いた時、松下は接待役の東洋の頭を酔って殴り、怒った東洋は松下を縁から突き落としている。容堂はその無礼を怒ったが旗本であり後難を心配し、東洋を解職し土佐に返したものである。

東洋は四年間この地で過ごす間、塾で明治政府の参議に成る後籐象二郎や、福岡孝弟、岩崎弥太郎達を育てたが、文久五年に藩政に復帰している。その後、公武合体路線を進め、土佐勤皇党と対立し帯屋町の自宅近くで暗殺されている。48歳。

 

 

HN:サカチャン

 

 

 

長宗我部で、長浜まちあるき に関するページ 

 

長宗我部ツアー に関する記事

 

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HN:サカチャン さんの記事 (その1)は、こちら

 

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓

 

第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217

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参加者が多いので、2班に別れて案内をしていただきました。

先の班とすれ違いです。秦神社では冷たいお茶をサービスしていただき、ホット一息着く事ができました。

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参考:長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

長宗我部顕彰会の代表や宅間歴史民俗資料館長に続き、長宗我部最高委員会や長宗我部ファンクラブの代表も玉串奉てんをしました。

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土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

 

⑤ 秦神社

 

秦神社は明治三年廃仏稀釈により廃寺になった雪蹊寺に安置していた元親の木像や、戸次川合戦の戦死者の霊板を御神体として、親房(元親の弟、島弥九朗)の子孫にあたる島義親らにより創建された。

 

社宝の長宗我部元親公画像は国の重要文化財である。

 

鳥居横の長宗我部親の記念碑には、昭和三年昭和天皇即位の際、元親公に従三位が追贈され、これを一族代表して請けている。

親は島義親の甥。秦の名は長宗曽我部氏の先祖が秦氏であるためといわれている。

 

HN:サカチャン

 

長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

 

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓 

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

 

第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217

 

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P1080542.jpg土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

 

④雪蹊寺・信親公墓所

雪蹊寺は弘法大師ゆかりの寺で弘仁年間(810~822)に開基され四国霊場三十三番札所である。

 

当初は保寿山高福寺で本尊は薬師如来で真言宗であったが、長宗我部元親が浦戸城に移り、菩提寺とし、臨済宗に改め、慶長四年元親没するとその法名「雪蹊怒三」から高福山雪蹊寺としている。

 

霊宝殿にある、鎌倉時代の仏師運慶、湛慶作の薬師如来、日光、月光菩薩、毘沙門天、吉祥天女、善膩師童子、十二神将等、十六体の仏像は国の重要文化財に指定され、県内重文の五分の一を占めている。

 

また、龍馬の土佐での剣の師、日根野道場の師範代土居楠五郎保の墓石や玄峰老師の像がある。老師の全生庵(東京)には吉田茂元首相も師事し、終戦時には天皇が詔勅で述べた「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」の文言を時の首相に送っている。

 

なお、新憲法の象徴天皇制に対しては「天皇は空に輝く象徴のようなものだ」と語っている。

 

 

長宗我部信親墓所

永禄八年(1565)元親の長男として誕生。幼名弥三郎、天正三年織田信長を烏帽子親とし、「信」の一字をもらい信親。

 

秀吉の命を受け、豊後(大分)に元親と共に出陣。戸次川において薩摩軍の釣り野伏せの策に(中国三国時代、蜀の軍師諸葛孔明が編み出した戦法、おとり部隊で敵を誘い込み包囲殲滅する)はまり、に土佐軍将兵七百名と共に戦死22歳。

 

遺骸は現地で荼毘にふされた。この時遺骸と共に持ち帰ったといはれる豊後梅の木が、今も毎年花を咲かせている。

 

 

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高知市長浜の第三十三番 高福山 雪蹊寺(せっけいじ) に参拝しました

 

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

 

第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217

 

 

IMG_7378.jpg②若宮八幡宮から、③戸の本古戦場跡へは少し距離があるので、時間の都合上周辺からの説明になりました。

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③戸の本古戦場跡へは少し距離があるので、時間の都合上、橋の上から遠望しながらの説明になりました。

別の日に、 戸の本古戦場跡へ出向いて来ましたのでご紹介します。

川の画面左側の住宅地内にある公園の中に、記念碑はありました。

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土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

 

③ 戸の本古戦場址

戸ノ本古戦場跡は永禄三年五月(1560)元親初陣の地で、若宮八幡宮馬場で一千の軍勢を揃え本山軍二千五百と戦いこれを打ち破っている。

 

この年、中央では、織田信長が、今川義元を桶狭間で打ち破り、翌年は川中島で謙信、信玄四度目の戦いが起きているがこの後、元親は土佐統一、四国制覇へ突き進むことになる。

*「古墳也コボツナカレ」の碑が建っている。

 

 

HN:サカチャン

 

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

 

第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217

 

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①若宮八幡宮元親公初陣の像前広場から、どろんこ祭・神田横を通って、②若宮八幡宮に参拝しました。

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高知県若宮八幡宮のHP

高知県若宮八幡宮 の記事

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若宮八幡宮には、若者を中心とした全国的な取り組みを進めている長宗我部最高委員会や、高知の長宗我部ファンクラブなどが連携して署名を進めている、「長宗我部大河ドラマ化」の署名用紙がおいてあり、多くの方が署名をされていました。

尾崎知事も署名されていますよ!の声もありました。

11月22日桂浜荘(浦戸城址)で長宗我部セミナー「若者と語る!」・・・その1

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土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

 

② 若宮八幡宮

文治元年(1185)源頼朝が京都の石清水八幡宮の神霊御勧請し新たに、六篠若宮八幡宮を建て、その際土佐の国吾川郡南部一円を神領地に奉納し、神地鎮護の神として若宮八幡宮を建てている。祭神は、応神天皇、神功皇后、宗像の三女神の五体で、元親は戸ノ本合戦のおり、この神社に戦勝祈願し、以後出陣に際の戦勝祈願の社とした。

 

社殿は出陣にちなんで出蜻蛉式。トンボは勝虫と呼ばれ縁起が良いとされ、元親公が浦戸居城のおりは西の宮と称した。また、山内家も祈願八社の一社としている。

 

その後明治六年に郷社に、昭和五年に県社に昇格したが戦後には社格が無くなり、現在は宗教法人若宮八幡宮で四月初めには神田祭り(どろんこ祭り)が行われている。そのどろんこ祭りは、二代目藩主忠義公が領地視察のおり、早乙女が投げた苗の泥が顔に付いた事から始まっているもので現在では、神殿において踊りを奉納し、神田で田植えを行った後、だれ彼無く男の顔に泥を塗るもので、塗られた人は、その年病気はしないといわれている。

 

また、鳥居には云われがある。それは元親が豊臣秀吉の命を受け九洲に出陣する際、社殿に武運長久を祈りいざ出発の時、軍旗が鳥居の笠木にかかって墜落したそうである。家来達は、不吉であるとして、出陣を見合すよう進言したが、元親は、「これは敵を笠にかけて討つという吉祥の前兆である」として出陣した。ところが薩摩軍との戸次川の戦いで嫡子信親以下七百余人の戦死者を出して大敗したことから、帰国後元親は縁起が悪いとして取り壊したそうである。

 

以来280余年間鳥居は無い神社となっていたが、慶応元年(1865)の地震で鳥居の根石が現れたことから氏子達は「神の思し召し」と再建に立ち上がったもので、現在あるものは1980年に建て替えられたものである。

 

 

 

 

HN:サカチャン

 

高知県若宮八幡宮 の記事

 

11月23日長宗我部ツアー①若宮八幡宮・長宗我部元親公墓碑

 

長宗我部ツアー に関する記事

 

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像 (初陣の像)

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

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NHKテレビをはじめ、高知新聞社など報道関係者も駆けつけていただき、NHKテレビはその日の夜のニュースで報じてくれました。

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今度、高知市の観光協会会長になられた、元高知市長の松尾・三翠園ホテル会長もご夫婦で参加され、ご挨拶されました。暑い中、最後まで一緒に歩かれていました。

隣が、今回まちあるきツアー企画の中心、地元のガイド武田末男さんです。

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予想を上回る70人を越える参加者があり、皆さん猛暑の中、熱心に最後まで長浜の歴史に耳を傾けていました。

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土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

 

① 元親公銅像

長宗我部元親初陣の像は元親没後400年に当たる平成11年完成した。元親は岡豊城主国親の長男として天文8年(1539)生まれ少年時代は姫和子と呼ばれていた。初陣は永禄三年(1560)本山氏との戸ノ本合戦で,本山軍二千五百対し長宗我部軍一千をこの地に兵を集し戦っている。時に22歳、この年織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を破っている。

 

その後、15年かけ本山、安芸、一条氏を滅ぼし土佐を統一した後、四国平定に乗り出し10年を要し大部分を手に収めるが、豊臣秀吉軍八万人が伊予、讃岐、阿波の三方面より攻め込み、降伏し土佐国を安堵される。朱印状98千石,軍役3千人。

 

翌天正14年秀吉命を受け九洲豊後の国に遠征、薩摩島津軍と戸次川で戦う。この戦いで大敗し、長男信親と将兵七百余名が戦死。その後領国支配に努め、検地(二万四千八百町歩:土佐二十四万石のいわれ)や法令を制定した。

 

居城は大高坂城を経て浦戸城に移転しているが、秀吉の命で小田原征伐、再度に渡る朝鮮出兵をしている。その姫和子から土佐の出来人になった元親の土佐軍は、一領具足が主力の動員総兵力二万四千人であって、兵農分離が遅れていたといわれている。

 

鉄砲の音に驚き気を失い大いに恥じた子供の頃の元親であるが「家来が癇な馬はすぐに驚く物、恥じるには及ばず」「何事も最悪を考え行動するもの」に基づく元親の戦略は、外交調略を第一とし、武力は最後にあるとしている。

慶長四年(1599)伏見の邸で没61歳。墓は天甫寺山。

 

 

HN:サカチャン

 

11月23日長宗我部ツアー①若宮八幡宮・長宗我部元親公墓碑

 

長宗我部ツアー に関する記事

 

長宗我部ファンクラブ

 

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高知南ファンクラブ

 

桂浜ファンクラブ


はじめまして。

2010ブログ教室に参加させていただきました『ウェルネス高知院』の山田国博と申します。

これから少しづつこのブログを使って、私のお店の紹介や健康に関する情報を発信していきたいと思います。

ブログも高知での生活も不慣れな私ですが、高知ファンクラブをご覧の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、

痛みの原因である骨盤・背骨の歪みを徒手によるやさしい施術で整えてくれる『ウェルネス高知院』。整えた身体を維持する為の方法も教えてくれます。カイロプラクティックを知っている方も知らない方も・・・ぜひ体感してください。

9/1(水)高知にOPENしたばかりですが、多くの方に利用していただいております。

カイロを通じて高知県民の健康の輪を広げること、そして家庭内ミニカイロプラクターの育成・普及をがんばっていきます。

 

住所 高知市東秦泉寺77-3 Y'Sコート202 ここに地図があります。

TEL 088-820-4158

メール metabotabesugi0715@softbank.ne.jp

営業時間 9002000(完全予約制)

営業日 不定休 駐車場有り

 

 

≪ 活動メニュー ≫

お店では、OPENプレゼント企画として、

通常5250円の施術代が、初回限定2750円引きの2500で、ペアならさらにお得な4000です。

2回目以降は回数券がお得ですよ。

この機会にあなたの歪みをチェックし根本から改善していきましょう。

 

フリーマーケット

9/29(水)ひろめ市場のよさこい広場 900~  

   ワンコイン施術として、まず骨盤調整を500円で致します。

   そして、プラス1箇所500円として肩・背中・腰・膝のいづれかを追加で施術します。

 

無料説明・体験会

10/20(水)龍馬の生まれた町記念館 10時・14時・19時 ここに地図があります。

 

10/21(木)高知市勤労者交流館 10時・14時 ここに地図があります。

 

10/23(土)龍馬の生まれた町記念館 10時・14時・19

   開催時間は全て時間厳守・人数限定のため出来れば事前に予約をしてください。

 

1Dayカイロ体験スクール

10/30(土)岡山市の南ふれあいセンター 10001800 (完全予約制)

 

 

私にカイロの技術を教えてくれた、『全国健康生活普及会』。

その中で活躍している先生方のインタビューが見れる『痛み辞典』を覗いてみてください。

とてもわかりやすいと思います。

        全国健康生活普及会   痛み辞典 

 

 

 

 

 

 

 

カイロプラクティックの『ウェルネス高知院』に関するページ

 

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坂本龍馬の銅像

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はじめまして。

自費出版した小さな写真集「土佐の銅像」を通して、高知ファンクラブと出会いました。

本に載せた写真、載せていない写真、満年齢での人物伝、個人的思い、

...など、綴っていけたらと思っています。

本の宣伝を兼ねたブログで恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

1回は、坂本龍馬の銅像です。本に載せたのが、すぐ下の1枚です。

平成17年秋、「龍馬に大接近」にて撮影しました。

100804龍馬.JPG

 

*銅像所在地:高知市浦戸 桂浜公園

*銅像製作:本山白雲 昭和3527日建立

 

*坂本龍馬(18351867 

12歳:日根野道場で剣術を学ぶ。

17歳:江戸に出て千葉道場でさらに剣術修業を重ねる。

26歳:春、土佐藩を脱藩。幕臣である勝海舟と出会う。

31歳:「海援隊」隊長となる。「船中八策」の作成。

享年32歳。

 

100804桂浜.JPG 

光り輝く桂浜です。

 

100804東走西奔.JPG 

龍馬の石碑もあります。

 

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読んだのは、22歳の頃でした。

32歳になったら何をしているんだろうと考えたりしたものです。

大したこともせぬまま32歳を過ぎ、あっという間に45歳となりました...。

 

 

土佐の銅像 写真集と 津江美和さんの写真に関するページ

 

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